私は、小さな空き時間を利用して、意識的にアニメや映画を鑑賞する時間を設けるようにしています。
お風呂に入りながら、掃除をしながら…ながら鑑賞です。
作品選びの基準は、人から面白いと勧められたものや、かつて社会現象になるほど話題をさらった作品、あるいは読書をしている最中に作中で引用されていた名作、旅先にまつわる作品などを中心にリストアップしています。
最近、そうしたきっかけで閲覧している作品のひとつに「涼宮ハルヒの憂鬱」があります。
この作品の中には、終わらない夏休みを延々と繰り返すという、印象的なストーリーがあります。同じ時間を何度もループする登場人物たちの姿を眺めているうちに、ふと胸の奥を突かれるような、あるいは何かにハッと気付かされるような不思議な感覚に陥りました。
それは「前世」や「今世」、そして「来世」という概念に対する視点です。もしも、私の魂が辿ってきた過去も、今この瞬間を生きている現在も、そしてこれから訪れるはずの未来も、実はすべて寸分違わぬ同じ流れを繰り返しているのだとしたら、どうでしょう。
私の周りにいる家族や友人、道ですれ違う知人に至るまで、配役がすべて決まっていて、私たちは何度も同じ舞台を演じ続けているのではないか。そんな想像が頭をよぎりました。
たとえば、学生時代を思い返すと、同級生の中には妙に大人びていて、常に物事を俯瞰したような視点で見つめている人がいたものです。性格が穏やかで、頭が良くて、いろいろ私に足りないところを持っていた気がします。笑
彼らが持っていたあの独特の落ち着きや、すべてを見通しているかのような賢明さは、もしかすると、何度もこの人生というシナリオを経験してきた中で積み上げられた知見が、意識の届かない記憶の断片としてどこかに刻まれているからではないでしょうか。
なんて、宗教じみている考えかもしれませんが、漠然とおもしろいなと。(妄想癖があるかもしれない。)
誰でもデジャブってあるじゃないですか。繰り返していると思うと、なんとなく納得してしまう私がいます。
そんな深遠な思考にふと迷い込みながら、とりとめもなく映像を眺め続ける。そんな少し贅沢で、妙に心地よい「ダラダラとした時間」を楽しんでいます。
